最近、毎日が充実しております。心地よいもどかしさを抱きながら作っているという感じです。
文字シリーズΟΡΓΑΝΟΝ(オルガノン)の作品群の制作の傍ら、暇も使って、タタラでサクサクッとコップを作るのにハマっています。
この前、課題も兼ねてコップを作っていました。釉掛けで失敗をし、結果的に台無しになったものも幾つかありましたが、未熟な技量ながらもなんとか可能性のあるモノが数点生まれたことは自分にとってはせめてもの救いとなりました。
焼いた結果、失敗をすると申し訳なく思います。「素材そのものの良さを作ることで超える」とかいう考えもあるのかもしれませんが、自分にはよくイメージが出来ません。
素材のあり方を昇華すると考えることは所詮、創作者それぞれの主観であって、素材そのものにとって何がどうあるべきかは実証する手段は誰にもない筈です。
主体は客体にはなれないという当たり前の事実。客観的という都合が良くて曖昧な概念は果たして何処に帰属するのだろうかと考えてしまいます。
何かを作るということは罪深き事とも言えるのではないかと感じながらも、作るという罪から少し逃れられなくなってきたいう予感を感じ始めました。