2013年2月18日月曜日

土地蔵ー内在する信仰心ー



私は特定の宗教を信仰しているわけではありません。

しかし、何らかの崇高な存在、目に見えない対象を多くの人間が信じているという根拠は一体なんであるのかという事に強い興味を抱き続けています。

危機感と閉塞感を抱く毎日の中で、気がつくと目を閉じ、手を合わせ、祈るように生きている自己が確かに存在するという事を最近になって自覚しました。

私の精神と肉体は、自覚や知覚を通して、崇高なる存在が何であるかという実体はつかんでいないものの、無神論者ではないのだと思います。

多くの日本人が崇める地蔵を、〈確かなようで不確かな信仰心〉を持った自分が表現したらどうなるか、何気ない動作によって生まれた現象を記憶してしまう〈土〉という物質で表現したらどうなるか・・・・

答えは、祈りを秘めた創作の中にあると信じています。




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