2012年3月23日金曜日

GEISAI#16







4月1日「GEISAI#16」というイベントに参加させていただきます。

お時間ございましたら是非お越し下さい。ご批評のほど宜しくお願いします。


会期
2012年4月1日(日) 11:00〜17:00
会場
東京流通センター第二展示場
最寄り駅:東京モノレール 流通センター駅
入場料
無料

 詳しくは下記サイトにて・・・

 

そのGEISAI出品予定の作品の制作も、そろそろ終盤を迎えます。
作品パーツの連結や拡張、展示台づくり・・・などなど。

パーツ写真を二枚だけ公開。




 















 



 

 



 











2012年3月14日水曜日

一番守りたいもの




「この中で、自分の命と変えてでも、モノを作りたい人はいますか・・・?」



正確には覚えていませんが、高校生の時、ある美術家が美術予備校の作品展に訪れて、こんな内容のことを言いました。
その時、私は迷わず手を挙げませんでした。答えはノーだからです。

命をなめちゃいけない。
その人の講評を聴いていると、知らない言葉や、知識、明解な語りに聴き入ってしまい、かなり頭の切れる人だということは解りました。人の話も丁寧に聴き、その上で助言をしていました。基本的な良識がある立派な方だとも感じました。
しかし、その発言に関しては違和感を持ちました。
 
生き続けなければ、何事も生み出せません。「命に変えてでも、モノを作る」というのはただの精神論。
制作に没頭した結果の代償として、精神や肉体が限界に達し、結果として命をすり減らすということや、命を落とすことはあったとしても、そんなことを意識的に美学として保とうとする人は不健康だと思います。
あえて「命懸けてます!!」と、自ら語る価値もないはず。個人的にはそういう考えはあまり好きではないです。嫌いというより、どうでもいいという感情に近い。


別に否定をしているのではありません。
 

ただ・・・・・・・・肉体的にも、発想としても〈不健康〉です。
 

私にとって、命以上に大切なモノはありません。生きていなければ何も出来ないからです。

人との出会い、読書、散歩、旅・・・・・・・

私には作ること以外にも人生に不可欠なものがあります。自覚はなくても失ってはならないものもきっと山ほどあります。
それらが相互作用することによって自らの人格や経験、他者との関係を作っていると思うので、人生においての優先順位はとても決めにくいですし、他者に語る気も、語る必要も感じません。
 

 今日、ここにこのような事を書いたのは創作や生き方に対するスタンスを表明するためではありません。
昨年の震災や津波だけでなく、一番の要因は原発事故以降、命というものの尊さを脅かす信じられない現状、その現状も見つめようとしない人々や考えが社会の中で増幅し、危機的な何かが、自分を覆い尽くすようで、自らの感性や理性が危機との同化を拒むからです。同化を望まないという感性や理性が手を動かしているのだと思います。
私も現状を実感しきれていない人間なのだと思います。ただし、様々な情報に翻弄されそうな中で、大切な事は二つあると感じています。
一つは、語られる言葉そのものに意味があるのではなく、語られる言葉には善くも悪くも常に伝達者の〈意図〉があり、受け手にとっては、それを考察する事に第一の価値があるという事。
そして、二つ目は、語られた言葉の意図を解釈した結果、改めてどう受け止めるかという個人の選択の問題。ただ、自分以外の人間に危害を加えないという条件でのみ、二つ目は尊重されるべき視点だと思います。
 
 
私はずっと、生きることに拘っています。これからもずっと・・・・・・